不朽の名作、火垂るの墓

戦争の現実を酷に伝える作品

現在日本では安保理改定法案に揺れている、時の首相は安全保障のために必要なことと謳っているが、誰もがそのように感じていない。それは若者であろうともだ。首相の発言が正しいものと仮定するなら、現代の日本人は皆が戦争をしたがっていると受け取れるものだが、誰もそんなことを望んでいない。体裁良く詭弁を述べているが、結局戦争をしたところで何も得るものはない。またこの半世紀以上の間、武器と自衛目的で設立された自衛隊の存在があったところで明確な武力行為から遠ざかっている日本人が戦争をするなど、それは命を捨てるようなものだ。今の時代、現代を生きる若者がお国のために命を擲とうとするなど考えることもないだろう。そしてこうした一部の身勝手な解釈による法案改正に対して、明確に全国からも反対意見が増してきている。またデモクラシーとしても出てきているため、戦争など誰が望んでするものかといったところだ。

世界中で争いのない世界を望むようになった、しかしそれも過去の業があってこその話。この過程がなければ今も世界を巻き込む大戦争は継続していたかもしれない。それでも中東を始めとした地域においては紛争やテロリズムなどが絶えず、日常と化している世界も存在している。日本にすればそんな世界が存在するなど考えもつかないはずだが、かつては日本人も導かれるまま武器を持ち、敵を殺し、殺される同胞たちを見ていた。その時代は誰も忘れることなど出来ない、そしてそんな悲惨な苦しみを味わうのは誰でもない、自分たちだと言うことも忘れてはならない。

戦争の悲惨さを訴えた作品は沢山ある、その中でも戦争に翻弄されながらも必死で生き抜こうとした幼い兄妹の主題にした作品がある。不朽の名作として知られる『火垂るの墓』、スタジオジブリが発表した作品の1つであり、80年代末期頃に発表された今作は現在にまで語られている。当作品では戦争の悲惨さ、戦争に翻弄される人々と時代によって放逐される子供の現実を描いています。

作品に対する思い入れ

火垂るの墓について話をすると、まず最初に出てくるのは原作となる小説を知っているか、それともアニメ映画として放送されたものを知っているかで、意見は分かれるはず。前者について熟知している人は余程深く入れ込んでいる事になるが、恐らく作品を知るきっかけになったのは間違いなく後者のアニメ映画の方だ。筆者も一番初めに見たのはアニメ映画であり、最初に視聴したのはまだ何も知らない子供の頃だ。その時はただ親と一緒に映画を見るだけに留まっていたが、話が進むにつれてこれはなにかおかしいと感じ始める。見ると、親も何かに耐えるようにして歯を食いしばっているため、何故かここは黙ってみているしかないようだと見ていた。本編全てを見終わった後、親は感動か、それとも辛かったからは定かではないが泣いていた。しかし筆者は何も感じることはなかった、というよりもそれこそ戦争のせの字も知らなかったお子様だったのでしょうがない部分もあった。

その後何度と無く放送される作品を見て、さらに知識として戦争に関する情報を身に着けていったことで作品の意味をようやく理解できるようになる。その頃には泣く事こそ無かったが、生きること、戦争のことについて考えるきっかけにもなったのは間違いない。それだけ印象深い作品となっており、年齢を重ねる事に放送されると分かれば常に見ていたものだ。今にして思えば、子供ながらに見ておかないといけない作品だと認識していたのかもしれない。

映画に翻弄される観客

余談だが、火垂るの墓は1988年に公開された映画作品となっている。アニメ映画単体で当時公開されることは稀だったので、同時上映作品が存在していた。その作品とは同じスタジオジブリで制作されたこちらも名作である『となりのトトロ』だという。

おぃこらっちょっと待て、そう突っ込んでしまいたくなる。まさかのトトロと清田&節子という組み合わせです。ハートフルな作品に感動した後、観客は次作品を楽しみにしていたがこれ見よがしに穏やかな気持が鬱と化して、どうしようもないほど居た堪れない気持ちに追い込まれたという。

当時の状況が今と異なるのはよく分かるが、それでもトトロと出会って摩訶不思議な体験をしていく姉妹の話に対して、戦争に翻弄されて明日食べる食事にも困る兄妹の切実な話では天と地ほどの差が生じてしまっている。心暖まった次の瞬間には、ハートフルボッコな作品を見せられてしまったのだから、訪れた観客はどう反応していいのか分からなかっただろう。ある意味制作陣が勝利した瞬間といえる。

原作とアニメ映画との違い

火垂るの墓、この作品が公開された時からそうだがその内容はあまりにリアリティ過ぎるものとして話題を集める。それは何年と時間を超えて受け継がれていき、未だ戦争における残酷さ・無情さを唱える上で重要な作品と考えている人は多いはず。日本にも戦争に翻弄され命を落とした少年少女たちの物語はいくつも存在している。代表的なものといえば沖縄県のひめゆり学徒隊についてだ。戦時下において敗戦が濃厚になった直後、現地で解散命令を発布されて戦う術も知らず、逃げる手段もないまま計300人近い年端もいかない子どもたちが戦場の無慈悲によって蹂躙されてしまった。その記念館に一度訪れたことはあるが、胸を引き裂かれるような思いだった。そんな彼らの状況と比べたら、清田と節子の境遇はまだ幸せだったと言える。

今作は元々野坂昭如氏原作の小説を題材にして作られた物となっており、当時戦時下における苦しい生活事情がまざまざと写しだされていた。作者の実体験を元にして執筆されたが、その中身を見てみると映画とは少し異なる内容となっている。というより、アニメ映画の方が全く別物の作品となっていると言ったほうが正しいだろう。具体的にどの部分が異なっているのか、抽出してみよう。

相違点その1:清田の節子に対する態度

相違点その2:戦時下における叔母との関係

相違点その3:海軍士官の子息である清田と節子の境遇

主だった違いとしてこのように挙げられている。映画において清田は絵にも描いたような立派な兄として表現されているが、原作においては妹の世話が出来るような余裕もなく、自分が生き抜くために必死だった様子が描かれている。また映画作品における引取先となった叔母との関係も、原作では最初から最後まで特別目立った諍いも無かったとされている。ただ最終的に2人が叔母の家から出て行く際には、二人のことを疫病神とやっかむ姿が表現されているため、その本心が何処にあったか知ることは今になっては把握することもないだろう。

結末については変わらず、最終的に節子が死亡し、その後清田も餓死することになる。ただここでも本来海軍士官の息子・娘である兄妹が餓死するほど経済的な困窮に陥ることはないのです。当時日本は大日本帝国、軍事国家として成立していたため軍人の地位は非常に高官だった。それも原作では海軍大佐、アニメ映画でも海軍大尉と重要な役職についていたことから分かるように、彼ら2人が国からの多額の補償がなされているはずなのです。ただ仮に父親が生きていたとしても軍人ということもあって、処刑に処されていた可能性が非常に高いため、どのみち兄妹だけになっていたことは明白である。

また物語ラストにおける清田が節子の骨をドロップの缶詰に入れる点については、原作者本人の体験談となっている。

その後の展開として

火垂るの墓がアニメ映画として公開されてから、度々地上波のテレビ放送でオンエアされてはその物語に涙する人も多かった。その後、様々なメディアミックス展開がなされ、実写ドラマと映画という風に映像化もされているが、そこで繰り広げられている内容も原作と変わらず清田と節子の悲惨な末路が待っている。ただドラマだからこそ、映画だからこそ表現できるものもある。そこに込められているものに対して誰もが口にするのは、戦争によって翻弄されているということなのかもしれない。


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